徳川氏家臣の中で特に三河時代以来徳川氏に臣従してきた家臣を譜代というが、徳川氏に帰属した時期を関ヶ原合戦以前と以後とで分けて前者を譜代、後者を外様と区別している。酒井氏は、家康の父「松平広忠」の代から仕えはじめている三河譜代の筆頭格の家柄である。 酒井氏の祖、広親の長男・氏忠の系統を左衛門尉(さえもんのじょう)酒井氏、次男・家忠の系統を雅楽頭(うたのかみ)酒井氏と称していた。徳川四天王に数えられた酒井忠次は左衛門尉系で、この系統は後に出羽国鶴岡藩主となった。川越藩主となるのは、雅楽頭系の酒井重忠・忠利兄弟と忠利の長男・忠勝であり武功派としての戦歴も残している。酒井氏両家は将軍の厚い信任のもと幕閣の要職に就くなど、譜代の中でも重きをなしていたのである。 天正十八年(1590)徳川家康が関東入国の際、川越城に封じられた酒井家は徳川幕府初期の要職を務め川越藩の基礎も固めた。